とりとめのない会話をして、その内容の薄さに笑える。
「でさでさー、あいつってば…」
耳を刺す陰口。きっとこいつ、ほかの奴のとこじゃオレの事言ってんだろうな。
それとも、こういうことしか、話のネタがないのか。
「えー、マジかよー」
返事をするオレの声。高石純平という名の人間の声。
本当に、嫌になる。

口から出る言葉というものには、“ことだま”が宿っているらしい。
中学生にもなって、そんなの信じてなんかいないけど。
言葉を発して出た結果が、言霊の力とでもいうのだろうか。
昔、本当に遠い昔にお寺に住む祖母がそんな話をしてくれた。

耳を刺し、そのままオレの脳へ作用するこの陰口。
無意識に、この陰口をされている人物を心のどこかで拒絶し始める。
「でさあ、純平、あいつってばマジで…」
どこか、楽しげともとれる口調は時に酷いことも平気で言ってのける。
「だからさ、純平。あいつ、ハブにしねえ?」
自分がされたことない行為が、どれほどの苦痛を与えるのか知らないのか。
ハブというのは「省く」という意味。「除く」の方が分かりやすいか?
つまりは、いじめ行為というわけだ。
「そりゃー不味いだろー、オレだって怒られたりしたくねえし」
「なんだよ純平ってば、怖気づきやがって。
 先公の前でだけいい子にしてりゃばれねえよ」
あー、タチ悪い。お前、自分されてみろよ、そういうこと。
でも、オレだってハブられんのは嫌だ。
「それもそうかもなー」
適当に返事をして、こっそりこのグループから抜け出すことにする。
明日はわが身。
こんな危険なグループにいるのは止めて、他へ移ろう。
オレって、考え方とか冷めてるほう?

そして、オレは何度もグループを変えた。
いわゆる、リーダーのような奴はどこにだっている。
そいつが危険なことを考えれば、おれはその場を離れた。

一箇所に留まらない。
留まれない。

でも、そんなコウモリみたいなことをしていると、立場はどんどん崩れていく。

今じゃ人と話すことすら難しい。
きっと、みんな影でオレことを色々言っているんだろうな。
人を信じられなくなったのは俺のせいなのかな?
それとも、周りが信じさせてくれない状況にさせているのか。


出来てしまった溝は深く大きかった。


そんな時、一人の転校生がやってきた。
髪は金色だし、目は青い。
目立つその彩色で隠される影にオレは一目で気づいた。
青い眼の奥に潜む、その色に。

「おぅ、ツトム。オレ、高石純平っつーんだ。
 仲良くしようぜー」
にこやかにツトムという名の転校生に近づいた。
この目立つ転校生を利用して溝を埋めたかった。
だけどツトムはだんだんとその瞳に映す狂気を膨らませているようだった。
何があったのかは知らない。
なぜ、この学校に転校してきたのかも、知らない。
あるいは、その理由のせいで、こいつはこんなにも影を濃くしているのか。

学校帰り、おれはツトムを家へ呼んだ。
母親に、おれにちゃんと友人がいるのだとアピールしておくためだ。
もちろん、ツトムに対しての少しの優しさだって含まれていたけど。
勉強面はオレが見てやる。
だから、ツトムはオレのためにクラスの奴らと仲良くしてくれな。
転校生という特権を使って。

ツトムが帰ってから、オレは一人で勉強をしていた。
ふと、窓を見やると、その向こうにツトムが見えた。
オレは追いかけた。
何故?…って何故だろう?
オレにだってわからないよ。
ただ、全身から滲む影に惹かれたのかもしれない。
ただ、目立つ金色に誘われただけかもしれない。
何故だか自分でも良く分からないが、おれはツトムを追いかけた。

ツトムは思いの外早い足取りで、オレは追うのすら精一杯だ。
そして目まぐるしく映り変わる視界の中、薬局へ入っていくツトムを確認した。
おれも、息も絶え絶えになりながら薬局へ入った。

そこの薬局はパンや菓子類も売っている大型チェーン店だった。
問題はツトムがどのコーナーへ向かったのかだ。
メイク品のコーナー…いない。
シップ類のコーナー…いない。
目薬のコーナー…いた!!
「おーい、ツトムっ」
びくりと、ツトムが震えた。
何だ?万引きでもするつもりだったのか?そんなに怯えて。
ふと、カートの中へ目を向けると、そこにはひとつの箱が。
これって、カラーコンタクトだよな。
こっそりイメチェンでもするつもりだったのか?
「お前、カラコンなんて入れちまうの?
勿体ねえよ。綺麗なのに」
せっかくの、青い目が。
その奥に潜む、オレとは種類の違う闇が。
カラーコンタクトの色で隠れてしまう。
オレはその箱を棚に戻した。
そして、ツトムにひとつのチョコの菓子を買わせ、オレは家に帰るといい、別れた。

何か言いたそうなツトムに気づかない振りをして…

結局、ツトムはカラコンを入れることはなかった。
ただ、その日からツトムの中の影は濃くなったように思う。

「なあ、ツトム」
ツトムもこの学校にようやく慣れてきただろう、
その時期にオレはツトムに話を持ち掛ける。
「何?純平君」
あどけない笑顔を返された。
罪悪感はある。
ツトムを利用することへの罪悪感。
でも、そんなことよりも、オレは溝を埋めたかったんだ。
「お前さ、今度一緒に遊びに行かねえ?」
いたって、普通の言葉。
これに、さらに言葉をつなげる。
「二人で…ってのも良いけど、たまには大勢で遊びたいよな…
 ツトム、誰か誘ってくれよ。
 お前と仲良い奴でいいからさ、その方がツトムも気が楽だろ?」
一見、普通の言葉。
でも、この裏にはおれの
『お前を仲介にして誰か、オレと仲良く出来そうな奴を捕まえて来い』
という意味も含まれている。
もちろん、ツトムにばれるわけにはいかないが。
ツトムは青い目も、その奥に潜む闇もしっかりと据えて
「うん。そうだね。
 …誰でもいいの?」
そう言ってきた。もちろんさ。良いに決まっている。
転校生君、しっかり誰か捕まえてきてくれよ。

気づけば、オレはいつも一人だったように思う。
―― 一人にしないで ――
そんな言葉を吐く資格さえ持たない。

ツトムは、オレが近づかないとき、別のグループにいる。
オレの悪口とか聞いているのだろうか?
別に言われていようともかまわないが。
たとえ、その言葉でオレを嫌おうとも。
利用されてくれてりゃ、それでいい。

――本当に?
――――当たり前だろ
――他人の目なんて、今更……

言葉を紡ぐ唇。
どこかの部屋で、うつろな目をしたオレがいた。
紡がれた言葉は“言霊”の力を持っていた。
『おれは みんなに きらわれている』
吐かれた思いは空気中を汚した。
汚れた空気中に新しい気配が生まれた。
―どうして助けなかったの?
誰かが泣いているような気がした。
―友達だったよね?きっとあいつはお前を信じていたのに…
やめろ。激しい頭痛がオレを襲う。
―純平はひどい奴だね。結局、自分のことしか考えていない。
当たり前だ。自己防衛は本能なんだから。
無理やり、理由をつけて言い訳をする。
こんな自分、オレだって嫌だよ。生きている意味だって見つからない。

ガバッ―と、頭を起こした。
周りをキョロキョロと見回すが、誰もいない教室。
移動授業だったらしい。音楽だと予定黒板に書かれている。
時計は、授業が始まってすでに二十分経過していると伝えてくれた。
―誰も起こしてくれなかった。
一瞬、頭の中に何か悲しい感情がよぎった気がした。
でも、すぐに俺の頭はそれを打ち消して、それが何だったのか分からなくなる。
オレは馬鹿だから、頭悪いから覚えてないんだよ。
そういえば、夢の中で感じたあの気配。あれは誰かを思い起こさせた。
誰だったろう?…黒い髪と黒い瞳を記憶から呼び出す。
あれは小学生のころだったかな――…

「純平、次音楽だぜー、急げっ!!」
クリアな声。ボーイソプラノの少し高い声。
「わっ、分かってるって。ちょっと待ってくれよ」
オレの、声。今とそれほど変わらない声。
「早くしねえと行っちまうからな」
「待てってば。教科書っ」
「ははっ、忘れたのかよ」
「そーみたいだ」
「仕方ねえ、見せてやるよ」
ふわりと笑ったそいつの顔。
優しげな大きな瞳がそいつの性格を現していた。
「おっ、サンキュな、×××」
思い出せない名前が聞こえた気がした。
名前を口にしたのは俺だったのに、そこだけぼやけて聞こえない。
…やっぱり、思い出せない。
―本当に?思い出したくないだけじゃないの?
何か、頭の中に考えが浮かんだ気がした。
でも、それはすぐに消えてしまって、オレは思い出せない。
「そういえば、×××の兄さんて六年生なんだよな」
廊下を走る黒髪と、小学三年生だった自分。
悩みのなさそうな、幼さのある二人。
「そうだぜ。六年生。で、音楽の教科書はもちろんおれっちとは違うからな。
 借りようなんて考えんなよ?」
「わあってるよ、そんなこと」
「ちなみに兄さんの名前は○○○○ 友樹だぜ?
 友達多そうな感じだよな」
あ、また。苗字のところだけ、聞こえなかった。
「ははっ、苗字が○○○○だもんな!!
 って、お前もそうだろうが!!」
幼いころのオレの声。
本当に、楽しそうに弾む声は今の俺には持ち得ない。
少し、羨ましいと思った。
小三のときのオレもオレなのに、幼いオレは多くのものを持っていた。
笑顔だったころのオレは、いつの間に多くものを捨ててしまったのだろう?

「純平君っ、音楽の時いないからびっくりしたよ。」
ツトムが無邪気に笑って言う。
机に突っ伏したままのオレは眠そうに
「おぅ…。」
と、極力、自然に返事をしたつもりだった。
それなのに、ツトムは
「純平君…どうしたの?
 もしかして、泣いてた?」
ぺロ、と舌を出しておどけて言うその目に、心配の色を灯した。
利用されているだけのツトムに心配されるなんて。
オレはよっぽど感傷に浸りすぎていたようだ。
でも、過去のことを想うのは悪いことじゃないよな?
「それはそうと…純平君。
 今度遊びに行くメンバーだけど…。
 三人、集めたよ。三人くらいでいい?」
三人…。十分だよ、ツトム。ありがとう。
でも、ほかの友達が出来たらまたオレは今一緒にいるツトムの元を離れ、
別の奴らとつるむ様になるのかな。

ついに、遊ぶと約束した当日になってしまった。
集まったのは、オレとツトムとその他三人、合計五人。
でも、ツトムの集めた三人のうち、二人はオレの知らない奴だった。
…いや?違う。その二人のうち、一人とはどこかで会ったような気がする。
「ツトム、二人知らない奴がいて…」
オレは困ってツトムに助けを求めた。
「あ、そっか。じゃあ…今更だけど。
…自己紹介、する?」
ツトムは笑った。
つられて、オレも笑う。
「そ、そーだな…。
 じゃ、オレから…なの?
 高石 純平。今、中学一年生だ。」
簡単な言葉。
これにも、言霊は宿るのだろうか?
「僕は加藤 ツトム。同じく中一。」
にこっ、あどけない笑みと一緒に零れた言葉。
「…オレも、中一。三道 順って名前。」
こいつは、オレと同じクラスの奴。
ツトムと順の言葉にも言霊は宿っているのかな…。
「じゃあ…次はお姉ちゃんち、よろしくね。」
ツトムが、オレの知らない二人に言う。
…お姉ちゃん?何だそれ?
ところで、さっきからオレを睨むように見ている奴。
どこかで会ったような気がする。
だけどなんで、そんなにオレを見るんだよ?
こんなことを考えている間に、ツトムにお姉ちゃんと呼ばれた人が話し始める。
「加藤 かおるだ。高校一年生で、ツトムの姉。
 久しぶりにツトムに会えたから少し、嬉しかったりする。
 よろしくな。」
どこか、男のような話し方。
かおるは、ツトムに笑いかけたが、ツトムは顔を少しそらした。
なんで?姉弟なのに仲悪いのか?
「じゃあ、おれの番かな。
 源 友樹ってゆうんだ。かおると同じ高1。
 よく、友達多そうな名前って言われるけど、あんまりからかわないでくれな。」
源…みなもと…ミナモト…
ミナモト トモキ … ?
頭の中が、真っ白になりそうだ…。
源友樹はオレの目をじっと見続けている。
「ちなみに…」
源友樹は口を開く。
「昔、おれにも弟がいたよ。
 ちょうど、お前らと同い年のな。」
頭が、痛かった。
これは言霊の力なのか?

日はもう傾いていて、帰る時刻になった。
源友樹はオレのことをずっと見ていた。
俺は気づかない振りをし続けた。
…だって、そうするしか出来なかったんだよ!!
仕方、ないんだよ。源友樹には申し訳ないけど!!
―怖かったんでしょ?責められるのが。
また、頭の中に考えが浮かんだ。
でもそれはすぐに泡になって消えて何も残らない。
あー、頭痛え。
「そろそろ、おひらきにしようぜ。」
苦し紛れに言葉を放つ。
もう、こんな時間なんだ。頭、痛えし。辛いの、ヤなんだよ。
「ンだよ、もう帰んのか…って中学生には辛い時間かもな。
 オレは別にかまわねぇし。」
ツトムの姉…、かおるは暗い色をする空を見上げた。
ビルの向こうに隠れた地平線から赤い光が少し忍び込んでいる。
―安堵した?やっと友樹から離れられるから
頭、痛え。おれ、物忘れ激しいから今の考えも消えてもう何も残っていない。

「それじゃ、ばいばい。」
「じゃーな。」
「またね。」
お別れの言葉を口々に言って、オレ達は別れた。
源友樹とかおるは帰る方向が一緒らしく、二人で帰る後姿をオレは眺めていた。
「純平君?早く帰ろう?」
突然、ツトムの声がしてハッとその方を見る。
ツトムと順は、オレがずっとかおると源友樹を見ていたのを待っていてくれたらしい。
「わ、悪ぃな。」
謝り、オレもすぐに二人の間に入る。
「あ、ごめん。順君、純平君、僕トイレ行ってくるね。」
早く帰ろうって呼んだばかりなのにごめんね、とツトムは付け加えた。
走り去るツトムの後姿を見るオレに、突然今度は冷たい声が突き刺さる。
「純平さぁ、お前いつまでそんなこと続けんの?」
順の声だった。
言葉はまだ続く。
「お前ってさ、利用してばっかだよな、友達とか…さ。
 お前本当に友達いんの?
 今回だってオレ、ツトムから誘われたからOKしたんだ。
 お前に直接誘われてたら多分来なかった。
 だって、お前おれたちのこと利用するだけじゃん。」
「っ!!順…」
呆然とするしかないオレは何も言えない。
だって、反論もできない。利用しているのだって本当だ。
「確かに、人を利用しているのは純平、お前だけじゃない。
 おれだって、ツトムだって人を利用することだってある。
 でも、お前はいつだって利用しかしないだろ?
 都合が悪くなると逃げ出す…。
ツトムが可哀想だよ、これじゃあ。利用されてるだけなんて。
どうせ、新しい友達が出来たら今度はツトムを捨てるんだろ?」
止めてくれ。頭が痛い。
…と、やっとここへツトムが手を振って帰ってきた。
少し遠くから、右手を上げてオレたちのところまで走ってくる。
「どうしたの?なんか空気悪いよ?」
無邪気で、あどけない笑顔は今のオレの胸に深く突き刺さる。
「ちょっと…な。ツトムは何も心配しなくて良い。」
「そうそう。別にオレ達喧嘩してたわけじゃねえんだからさ。」
へらっと、力なく笑って言ってやった。
何も、心配しなくて良い。そう、何も。
ただ、オレから離れず利用されていてくれれば良い。
オレ達二人の言葉を信じたのか、ツトムはほっとため息をついて言う。
「ところでさ、さっき友樹さんに会ったんだ。
 純平君に話があるんだって。
 一緒に来たんだけど…どっかで置いてきちゃったかな。」
また、頭痛がした。言わないでほしかった。やっと開放されたと思ったのに。
「あ、来た。」
順の声。順の視線の先を辿る。
先には、源友樹がいた。

オレは源友樹に二人で話がしたいと言われた。
二人には悪いけど、先に帰ってもらうことにした。
ツトム、順…。利用するだけで、ごめんな。
オレには人に何かを与えるなんてこと出来ないんだ。

オレ達二人は、公園で話をすることにした。
店に入ると誰かに話しを聞かれそうで嫌だったからだ。
「純平…君、おれのこと、覚えてるか?」
源友樹は、ベンチに座ったオレに言った。
源友樹は、突っ立ったまま。座ればいいのに。
「以前みたく、純平で良いすよ、友樹さん。」
「そっか。純平も敬語じゃなくてタメで良いからな。」
ココア色の目が細められた。
その好意的な仕草にさえ、オレは責められているかのような錯覚に襲われる。
「ところでさ、淳のこと覚えてる?」
淳…じゅん…おれの、友達だった…。
たぶん、今までで誰よりもオレの近くにいてくれた親友。
そして、源友樹の弟だった。
「うん…。覚えてる。」
オレの声、震えてなけりゃ良いけど。
「そういえば…、今日いた、あの子も“ジュン”て言うんだな。」
順のこと…だ。
あいつも、真っ直ぐなやつだよな。
あいつも、オレのせいで傷ついて―――・・・
あ、頭痛え。なんかごめん。よく分からないけど。
「え、はい。あいつも“ジュン”て名前。字は違うんだけど。」
もしも、淳も生きていたなら順のように真っ直ぐなやつだったのかな。
「…そっか。…純平、淳のことだけど…。
 あいつ、死ぬ前とか、学校生活どんなだったのか知りたいんだ。」
止めろ、止めて、止めてください。お願いだから。
傷をえぐるような真似、しないでよ、しないで下さいよ。
「純平、頼む。教えてくれないか?」
…そんなこと言われて、断れるわけがないじゃないか。
断る資格なんて、オレには無いのだから。
「友樹さん、そのことは散歩でもしながら話させてよ」
このまま見下される形で話すのは、今のオレにはとても辛いことだった。
なぜなら、この位置からは源友樹の顔が見えてしまうから。
移り変わる表情を見たくないから。…淳を思い出してしまうから。

俺の願いも通り、駅まで歩きながら話をすることになった。
かおると、源友樹は遠いところに住んでいるらしい。
ツトムの引越しと何か、関係あるのかな?
ちなみに、かおるは先に帰ったらしい。

まだ、駅までの道は長い。
二十分…いや、それ以上かかる。
何せ、オレ達は歩いているのだし。
「友樹さんちは駅から歩いてきたの?」
「当たり前だろ。それ以外の移動手段なんてねぇし。」
そりゃ大変なことだ。ご苦労様。
さて、そろそろオレも義務を全うしなければ。
オレは懐かしい日々を思い出す――…

音楽の教科書――…
○○○○友樹――――源友樹
そして、あいつの名前。ジュン。淳―…
ごめんな。今更、どうにも出来ないけど。



「純平、次音楽だぜー、急げっ!!」
クリアな声。ボーイソプラノの少し高い声。
「わっ、分かってるって。ちょっと待ってくれよ」
オレの、声。今とそれほど変わらない声。
「早くしねえと行っちまうからな」
「待てってば。教科書っ」
本当は、忘れてなんていなかった。
隠されたのだ。淳をいじめる奴らに。
なぜかは知らないが、淳はいじめっ子に目をつけられていた。
オレは何度も淳をかばったから、そのせいで隠されたのだろう。
「ははっ、忘れたのかよ」
「そーみたいだ」
「仕方ねえ、見せてやるよ」
ふわりと笑った淳の顔。
優しげな大きな瞳とそれを縁取る長いまつげも、淳の性格をよく現していた。
なんで、淳がいじめられるのだろう?
オレには、わけがわからなかった。
「おっ、サンキュな、淳」
―本当は、思い出したくなかったんでしょ?名前。この子の、名前。
そうだよ。思い出したくなかった。
―必死に、目をそらし続けていたかったんだよね?
そう。そうすることで自分を守れるから…
…オレは無力だなんて思いたくなかったんだ。
「そういえば、淳の兄さんて六年生なんだよな」
廊下を走るオレと淳。
この先に待つのは死なのに、どうしてそんなに走る?
このころだって、悩みはオレ達を苦しめていた。
「そうだぜ。六年生。で、音楽の教科書はもちろんおれっちとは違うからな。
 借りようなんて考えんなよ?」
「わあってるよ、そんなこと」
「ちなみに兄さんの名前は源 友樹だぜ?
 友達多そうな感じだよな」
実際、源友樹は友達が多いと思う。
こいつの周りはいつだって人がいる。
兄弟なのに、どうして淳ばかりこんな目に――…
もし、この違いさえも言霊の力だとしたなら、オレには何もしてやれないのかな。
源友樹。この名前に人は誘われていくのだろうか?
オレ達だけがからっぽの空間に残され、暖かい地に笑う友樹を見ているしか出来ないのか?
…そう、それしか出来なかった。
おれは、無力だから。助けることも何も出来なかった。
「ははっ、苗字が源だもんな!!
 って、お前もそうだろうが!!」
楽しそうに弾ませた声。
悩みがあっても、この時のオレは楽しかった。
毎日が、とても楽しかった。
「っはぁ、やっと着いた!!」
ぜえぜえと息を切らせてオレと淳は音楽室に入る。
「おっ?純平、お前の教科書どうしたんだ〜っ?」
いじめっ子は早速オレらのほうへやってくる。
オレの名前の書かれた教科書を手に持ってぱたぱたと扇いでいる。
「淳と仲良しこよしの純平君は教科書なんて無くても平気だよなぁ〜」
疲れていた。疲れていたんだ、きっとこの時のオレは。
じゃなきゃ、なんであんなことを言いそうになったのか、自分でさえ分からないよ。
「…っ!!違う。オレは淳とは…」
オレの言葉をさえぎるようにチャイムが鳴る。
オレ達も、いじめっ子たちも席に着く。
ただ、言いそうになった言葉はオレの胸に黒い根を張った。

授業中、淳は小声で俺に話しかけてきた。
「その…さ、オレのせいで何か負担になってたりとか…」
しかし、言葉が最後まで届くことはなかった。
目ざといいじめっ子は大声で言ったのだ。
「先生〜っ!!源君がおしゃべりしてます!!」
ハッ、と淳は口を噤んでしまった。

授業のあと、オレはいじめっ子たちに拉致された。
男子トイレで、数人の男子に詰め寄られる。
「お前さ、何で淳と仲良くすんだよ。」
「そうそう。お前もさ、淳と仲良くするの止めろよな。」
オレは何も言えず、ため息をついた。
どうしようもなくて、この場を去ろうとしたオレの腕をいじめっ子の一人がつかむ。
「どこ行くつもりだよ。」
「…オレは…っ!!」
情けなくも、オレはその腕を振りはらってその場を逃す選択しか選べなかった。


「純平、その…さ、大丈夫か?」
淳の、いや、友樹の心配する声。
いつの間にか、オレの瞳は涙でぬれていたようだ。
「ん…、大丈夫。話、続けます。」
枯れた筈の涙は溢れ続けた。


「純平、その…さ、大丈夫か?」
淳の心配する声。
「え?」
「ほら、さっき…」
あぁ、いじめっ子たちに拉致られたことか。
「大丈夫だよ、オレは。」
心から、笑顔が零れた。
オレは、大丈夫だよ。

この日、算数の時間は自習だった。
無責任な教師はプリントだけを置いてどこかへ行ってしまった。
「純平、問六、分かった?」
淳がプリントを持って近づいてきた。
それに気づいたいじめっ子が淳の腕をつかむ。
「待ってよ淳ちゃぁああん」
からかうような、笑い声。実際、からかって楽しんでいる。
「なんだよ?」
不機嫌そうな、淳の声。
「淳ちゃん、良いの?
 キミのせいで純平は苦しんでいるんだよぉ?」
くねくねと腰を揺らして言う。
「…?純平が苦しんでる?」
え、とオレの方を見る淳の瞳を直視出来なくて、オレは下を向いてしまった。
「そうそう。純平はお前をかばったりしてるから皆にいじめられてるんだよぉ?」
何を、知ったように言うのか。
しかし、この時のオレは何も言えなかった。
ただ、下を向いているだけだった。
「純平が…やっぱりオレのせいで…?」
淳の震える声が、耳を刺す。
でも、オレは何も出来なかった。
「そう。お前のせいでだよ、クズ君?」
にぃ、と、下品な笑みを浮かべていじめっ子が淳の顔を覗き込んだのが気配で分かった。
そして、笑う。
「こいつ、泣いてるぜ?!マジありえなくね?!」
はははっ、と、一気に笑いが空間を満たす。
「そして、純平。」
笑い顔のまま、いじめっ子がオレの方に話を振ってくる。
「お前もさ、本当は淳のこと、嫌いだろ?」
自信に満ちた目で言われて、オレは困った。
本当の、自分の気持ちがどこにあるのか分からなかったから…
「オレは…」
オレは、どうしたらいいのか分からなかった。
なんて言えばいいのか、分からなかった。
うつむくオレに、大きく名前を呼ぶ声が届く。
声の主は、淳だ。
腕をいじめっ子につかまれて、それでも必死に暴れてオレを呼ぶ。
「っ!!純平、純平っ!!」
でも、オレはそれに答えることが出来なかった。
それでも、おそるおそると視線を上げる。
―本当は、それだけのことがすごく怖かったんでしょう?
うん。そうだ。オレは怖かった。自分も、いじめっ子たちも、淳も。皆が怖かったんだ。
視界には、いじめっ子たちと淳と、遠巻きに眺める皆が映った。
蔑むような目、哀れみをともした目、色々な目が視界の中でオレに集まっていた。
「じゅん…ぺえっ!!」
オレの名前を呼ぶ、淳の声。
淳と目が合う。
「淳…」
名前を呼ぶしか出来なくて、オレはまたうつむいた。
「純平、ごめんな。」
なぜか、淳がオレに謝ってくる。
オレはよく分からない不安が、胸に広がっていくのを感じた。
「おれのせいで、お前にまで迷惑かけてたんだよな。
 本当は、気づいてたけど、気づかない振りをして、現実から目をそらしてたんだ。
 本当に、ごめん、ごめんな、純平っ!!」
淳の、必死な叫び。
ガタンという、音。
「痛ってぇなぁ!!」
いじめっ子の、怒鳴り声。
淳は腕をつかんでいたいじめっ子を突き飛ばして廊下へ出て行ったのだと分かった。
「淳っ!!」
オレは、やっぱりよく分からない不安感に巻かれて、絶望的な気分になった。
なぜだか、このままじゃ最悪の結果が待ち受けていると分かっていた。
でも、どうすることも出来なかった。淳を追うことすら、出来なかった。
直後、何かすごく嫌な音がして、オレは鳥肌が立つのを感じた。
地面に、トマトが落ちたときのような、不吉な音。
いじめっ子たちも、何かを大声で言ったりしてあわてている。
しかし、オレにはどんな言葉もただの音としか感じられなかった。
言霊も、この時のオレには聞かなかった。
無力感が全身を襲う。
そして、どうしても消えない大きな傷が胸に出来たような気がした。


「友樹さん、ごめんなさい…。」
とめど無く溢れてくる涙を抑えることはできなくて、
結局声も震えてしまって、オレは情けなくて手で顔を覆う。
思い出すと、胸が苦しくなる。

あれからだろうか?
人を利用することだけをするようになったのは。
人を信じられなくなったのは。

淳が死んだあと、オレは転校をした。
両親が、気を遣ってくれたんだ。
聞いた話だと、友樹達もあの後すぐに転校をしたらしい。

嗚咽が収まらなくて、本当にオレは無様だ。
そんなオレの背中を、友樹はさすってくれた。
「大丈夫か?辛いことだったんだよな、話させてごめんな。」
謝るべきなのは、オレの方なんだ。
「あとさ、純平。淳が死んだのは何も、お前のせいじゃない。
 お前ばかりが責任を負う必要なんて無いんだ。」
淳と同じ、ココア色の瞳がオレの目を射抜く。
オレは、黙ってうなづいた。

「それじゃ、友樹さん、さよなら」
「ああ、純平も元気でな」
ようやく泣き止んだオレは、駅のホームで手を振る。
友樹さんが、改札口を通り抜ける。

なぜか、胸がすごく軽くなったように感じる。
オレは青信号の横断歩道を歩く。
―やっと、思い出してくれたの?淳のことを
ああ。やっと、淳のことを真っ直ぐ見ることが出来たと思う。
―ねえ、もしもあの時淳を止めることが出来たなら…
きっと、淳は死なずにすんだと思う。
オレはいつだって、人を傷つけることしか出来なかったんだ。
ツトムも、順も、被害者だ。
―でも、これからはもう、大丈夫だよね?
もちろん。これからは、ちゃんと友達を作るんだ。

生きるために捨ててきてしまった物を、今から拾いに戻っても良いかな?

淳のことだって、そう。
今日、やっと遠い昔に置いてきた思い出も悲しみも拾ってこれた。
あのころのような、笑顔を、弾む声をこれから、拾いに行くんだ。
もう、オレの隣にお前はいないけど、淳。
ツトムや、皆と拾いに行くんだ。
だから、淳はオレを見守っていてくれたら嬉しいな。
お前の分の幸せも、オレがちゃんと拾い集めていつかお前に渡すから。

突然、大きな音が耳に響いた。
なんだよ、今度は誰だ?
でも、おかしいな。
順のオレを諫言する声じゃない。
ツトムの「帰ろう」と呼ぶ声でもない。
悲鳴が、耳をつく。
オレは何が起きたのか、理解する暇さえない。

ただ、薄れていく意識の中で生きる希望を見つけた喜びだけが膨らんでいくのを感じていた。



『人が引かれたんだって、トラックに』
『運転手が寝てたらしいじゃないか。引かれた人もかわいそうに』



オレは、これから拾い集めるんだ。
今まで、失くしてきてしまったものを―――・・・



Fin...........................................................