自分ひとりの部屋。
ふと、鏡に映った自分に気づいた。
…目の下、くまできてる。
それから、疲れきった顔。
無理もない。まだ、一日しかたっていないのだから。
そう、まだ一日だけ。
オレの両親が離婚して、まだ、一日たっただけ。
きっと、大丈夫。一週間もすれば、片親の生活にも慣れる。
自分にそう言い聞かせて無理に笑った。
鏡の中の自分がひどい顔で目を細めていた。

「朝飯、パンで良いか?」
オレは急ぎ足でキッチンを移動する。
まだ、寝ぼけている親父は新聞をひろげて頷いた。
目を覚まさせるためにコーヒーを入れて。
時計はきっちりと時を刻んでいる。
急がなきゃ。遅刻なんてしたくない。
「なぁ…、かおる」
ゆったりとした口調で、親父がオレに話しかけた。
「ンだよ、用があるなら早く言ってくれ」
コーヒーの香りがキッチンに満ちる。
ポットの湯は、大丈夫。まだ残ってる。
でも、学校に行く前に水を足しといたほうが良いだろうか?
「ごめんな、お前に負担かけて」
すまなそうな親父の顔。
「大丈夫だよ。仕方ねえことだし。
 これからは、親父とオレ二人でこの家独占できんだぜ?
母さんも、ツトムもいなくなったこの家…で」
語尾が、揺れそうになるのを必死に止める。
母さん…、親父が仕事に夢中でよくかまってやれなかった。
ツトムはオレの弟。オレによく懐いてたっけ。
なんか、もう、だめだ。
全て過去形の話になっちゃってる。
まぁ、過去の話なんだけど…。
「それよりさ、親父いいのかよ。
 急がなきゃ、遅刻だぜ?」
全てを振り切るように、言ってやったら親父は時計を見て大慌てをした。
オレも、急がなきゃなんだけど。
まるで、この朝の空間が自分とはまったく関係ないことのように思えてきて、オレはしばらくぼーっとしていた。
ふと、視界に映る。
壁にかけてある、鏡。
映った、自分の顔。
表情を失ってしまった顔。
乾ききった瞳。
…オレ、疲れてんのかな。


大きな声。おはよう。
あいさつしましょう。
朝礼を始めましょう。
朝礼を終えましょう。
一時間目を始めましょう。
…しっかり生きましょう。


ふと、教室内でひとつの視線とかち合った。
はにかむような笑顔をかえしてやる。
…うまくいったかは分かんないけど。
「かおる」
あぁ、やっぱ上手くいかなかったみたいだ。
視線の主は心配そうにオレの顔を覗き込んできた。
お前、いつの間にこんな側にきたんだよ。
そう言ってやりたくなるほど、そいつはオレのすぐそばまで来ていた。
「ンだよ、オレに何か用?」
「…かおる、悩みあんなら何でも言えよ?」
「悩みなんて、ねぇよ。
 …それよりさ、お前告ったんだろ、留意ちゃんに」
「なっ、かおる知ってたのかよ?」
「ったりめーだろ。で、どうだった?」
「…無惨」
「ははっ、気ィ落とすなよ」
「かおる…」
ぐっ…と、ココアみたいな茶色の瞳がオレを見つめる。
思わず、吸い込まれそうな瞳から目を背ける。
こいつの目は、本当に何でも吸い込んでしまいそうだ。
心の中まで、深く入り込もうとする色を持ってる。
一度、この瞳に魅せられたら、とりつかれたら、どうなってしまうんだろう。
「ンだよ、どーした急に。
 オレの名前なんて呟いてよ」
背けた目を、ゆっくりと移す。
もう、こいつの瞳は見れない。
胸の、名札を見ることにした。
――― 源 友樹 ―――
名札に書かれた名前。友達が多そうな名前だと思う。
実際、こいつ友達多いし…。
「かおるさ、無理しすぎんなよ」
友樹は優しくそう言って、にっこり笑った。

いつもはしっかりとるノート。
でも、今日は真っ白…というよりかは、白に近いといった方が合ってる。
少しの文字しか綴られていないノート。
オレの心も、漂白剤に漬け込んだみたいに、白かった。
だけど、それは純粋な白なんかじゃなくて。
ただ、何も考えたくないだけの、白。

「こら、今のとこ、しっかり聞いていたか?」
教師の大声。
…オレに向けられてる?
「おい、なんだ。今日は調子悪いのか?」
いつもはしっかりしてるオレ。
この先生はいつもとチガウオレを心配している。
たとえ、その心配してくれる思いが仕事のためだとしても今はすごく嬉しかった。
「大丈…夫です。」
一言、言って黒板をノートにしっかり写す。
その様子に、教師は安心して再び黒板の前へ立つ。
…もう、行っちゃったのか。
ん?「もう」って何だよ。オレやばい?先生の温もりとか欲しちゃってる?!
うはー。オレ、きもー。…?え?マヂで?
そんなことを考えて目をぱちぱちさせる。
瞬かせる視界のすみに、心配する友樹が見えた。
あぁもう。全身で心配しちゃってますオーラなんて出しちゃって。
でも、心のどこかでそれを心地良いと思う。
やだ、オレってば。二股?

友樹はオレのこと、よく考えてくれる親友。
オレの、トクベツ。
ずっと、親友でいたいと思う。
貸したCDだって、傷1つなく返してくれるし。
困ったときは、心安らぐ笑顔をくれる。
―――そんな、友達。
…別に、CDくらい傷ありで返ってきても許してやるけどな。

休み時間、オレの顔はそんなに酷いのかと心配になった。
トイレの鏡で、確認。
女子たちの黄色い声。頭、痛くなる。
でも我慢。
我慢しようとしてガマンして。
すればするほど鏡の中の自分は色を失くしていく。
表情。目の下の、くま。…病んでる。
声の出し方、思い出せない。
…息、できてる?
あ…だめだ。
なんか、もう。
平行感覚とかワケワカンナイ。
目の前、真っ暗。

ブラックアウトして、重力が体を動かした。


なんか、疲れちゃった。
もー、目、覚ましたくないなァ…



目が覚めてしまった。
倒れる前の、ブラックアウトとは正反対の部屋。
白ばっかり。
そう、ここは保健室。
「ん…っ」
声を出そうとして、何故か出せなくて。
オレは混乱した。
それもつかの間、保険医がやってきた。
「大丈夫?かおるちゃん。ストレス溜まってるのね」
…かおるちゃん…
やめてよ、ちゃん付けなんて。
「オレ…っ。ちゃん付け、止めてください。」
あれ?思ったよりもすんなりと出た声。
さっきはうまく出なかったのに。
さすが、保険医。そのおちつきのある声のおかげか?
保険医の、諭すような声はオレに言う。
「かおるちゃん。お家のこと、聞いてるわよ。
色々、混乱することもあると思う。
でも、あなたは女の子で、オレなんて言っちゃダメ。
“ワタシ”にしなさい。」
何言ってんの。ウチのこと聞いたって?
ぼーっとしている頭はうまく回らない。
保険医の向こうにある鏡に映る姿。
白衣の女性の後姿と。
目の下にくまがあって、表情なんて捨ててしまった顔。
ショートの髪はちょっとはねてる。
スカートが、少し皺になっちゃった。
…頭、痛いなァ
「先生、もう大丈夫なんで。教室、帰りたい」
一人称のない言葉で話す。
「…授業、全部終わっちゃったわよ。
 多分、今終礼してるわ」
「はい。お世話になりました」
にこっと、笑顔を作って立ち去る。
オレの笑顔、ヘンかな?
保険医は、オレの笑顔をみて痛々しそうに顔を変えた。

教室につくと、そこはがらんとしていた。
終礼はとうに終わっていたようだ。
一人で自分の席に戻って、教科書を机から出す。
横にかけてある鞄のチャックを開けて、教科書を詰め込む。
ノートも、詰め込む。
…机の中、もうからっぽ。
……帰ろう。
ゆっくり立ち上がって、チャックを閉めて、顔を上げる。
そのとき、突然声が聞こえた。
「…かおる?もう大丈夫なのか?」
教室の、引き戸のところに立つ友樹の声だった。
「うん。
友樹はどうしたの?いつもはもっと早く帰るのに」
「かおると帰りたいと思ったんだ。
 今日は部活も無ぇし」
「そっか。待っててくれたんだな。ありがと。」
にこっと、笑って礼を言う。
そうしたら、友樹はココア色の目を揺らめかした。
痛々しい彩りに満ちた瞳が面白い。
「…かおる」
ふと、名前を呟かれた。
「ンだよ」
「困ったコト、あんなら何でも言えよ?」
友樹はもう、さっきまでの表情ではなくなっていた。
真っ直ぐな、瞳。
だめだ。その目は。
「あぁ、もちろん。
 何かあったら、すぐ、一番にお前に言うからな」
友樹は、鞄を手に持って軽くぶらつかせている。
子供じみた仕草をしているのとは対照的な瞳。
真っ直ぐ、オレの心を射抜く。
「…本当に何でも言ってくれて良いんだ。
 負担とか、感じないよ、おれ」
 かおるのために、何かしてやりたいって思うから」
ゆらゆら。
友樹の目が揺れている。心のどこかで、何かを迷っているのか。
それでも、必死なのは痛々しいほど伝わっている言葉と、瞳。
そんなの、痛々しいの、必死なの、やめてくれよ。
「友樹、ンだよ急に。しんみりしちまうだろ」
軽く、言い返す。そうだ。しんみりしちまう。
「かおる、おれ達、親友だよ…な?
 親友の痛々しい顔、見たくねぇんだよ。頼むよ。
 頼むから………
 そんな辛そうな顔、しないでくれよ」
…。痛々しいのはお前だろ、友樹。
本当、本当に、しんみりしちまってる…。
「友樹、何だよ。一体」
この雰囲気をなんとかしたくて、軽く言ったつもりだ。
「その男みたいなしゃべり方だって。
 今日になっていきなり…
 どうしたんだよ、なぁ。
困ったコト、あんのか?悩み、あんのか?
何でも良いから、話してくれよ」
何だよ。そんな瞳、しないで。
痛々しいのは友樹のほうだろ。
オレは、いつも通りだから。
「友樹…っ、オレは、大丈夫だろ?」
「ッ、何がだよ。かおる。
 大丈夫じゃなさそうだから、心配してんだよ。
 なんで、そんな顔してんだよ。
 笑ったって、笑ってるつもりかもだけど、
 お前、なく寸前の子供みたいな顔っ、してんだぞ」
何だよ、ソレ…。
言おうとしたけど言葉にできなかった。
かわりに、口から出る毒。
「オレ、大丈夫なんだよ。
 淋しいとか、いらないし。…っ。
 オレ、大丈夫。大丈夫なんだっ」
紡がれた言葉は毒というより、願いだった。
淋しいとか…ってなんだよ。
友樹、そんな単語口にしてねぇじゃん。
「かおる、淋しいのか?
 そうだ。大丈夫だよっ。おれ、そばにいてやるよ。
 淋しいなら、一緒にいてやるから。
 ほら、なんかもう、お前、半べそだぞ」
ンだよ。まるで、告白みたいだな。
でも、いいんだ。一緒にいてくれるんだって言ってくれたから。
それだけで、オレの心は温かい何かに満たされるから。
…友樹こそ半べそだろ。
あーもう。考え、まとまんね。

よく分かんないけど、二人で泣いて帰った。
両親の離婚のこと、ちゃんと言った。
人間って、そーゆうの、変なフィルターかけてみるクセがあるみたい。
だけど、友樹はそんなことなくて、色々共感してくれた。
淋しい、淋しいって泣くオレを、
大丈夫、大丈夫って泣きながら答えてくれた親友。
自分のこと、心配してくれる人がいると心のスキマが埋まっていくのがわかる。
だから、学校で先生が心配してくれたときとか、嬉しかったんだ。

「じゃー、かおる。しっかりしろよーっ」
ちょっと腫れた目の友樹は手を大きく振ってそう言った。
今度は、自然にオレも笑顔と言葉を紡ぐ。
「うん。もう大丈夫。
 …このしゃべり方、クセになっちゃったから治るかわかんねーけど」
まるで、男みたいなしゃべり方。
自分を淋しいって思いから守るために、わざと変えてたしゃべり方。
もう大丈夫。寂しくなんてない。
でも、なんとなく治すのが惜しいからずっとこのしゃべり方でいよう。

キッチンの机には『今日はちゃんと帰るからな』と書かれたメモ。
親父が朝急いで書いていったんだろう。
母さんがいるときにも、そういうこと、してやれば良かったのにな。
苦笑い。
ふと、視界に映った鏡。
ふっ…と笑みがこぼれる。
そこには、自然な表情をした自分がいたからだ。

  Fin………………………